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いや、部下に父に劣るとされてあっさり認める恵帝相当な力量よ。曹参が言いにくいことを面と向かって恵帝に言えたのも、力量を認め信頼していてこそ。余計なことをしないのも大切。やはり中国史は教訓の宝庫。
守成の時代に大事な「聴く」ことができる人ですね。しかも2代目は増上慢になりがちだから、ほんとに凄いと思います
武田勝頼より上、少なくとも上杉景勝クラスということか!
いやいや武田の勝っちゃんは親父の負の遺産に殺された疑惑があるし。結果だけ見ればそうかもだけどさ。
ホウ城の戦いは兵数は盛られてると思う……せいぜい寄せ集め10万いるかどうかの劉邦に対して本拠地襲われて激オコの楚人2万率いる項羽じゃ話にならない。
部下ではあるけど旗揚げ時から一緒にいて馬鹿やってた愉快な仲間たちの一人だから普通の部下としては思ってなかったと思う
動画お疲れ様です。劉邦から粛清の対象として見られず疑われなかっただけでも十二分に凄い政治バランス能力の持ち主。決して目立つタイプではないけど超が付く有能ですね
明の開祖を見るまでもなく疑われないのは中華では大切な能力。
私は、楚漢戦争で一番好きで尊敬してる人物です。武智の勇としてこんなに偉大な人は、いないと思う。劉邦の粛清にも見舞われず、宰相になってもけして驕らず、呂氏の専横にもかかわらず、民が、安らかに過ごせるようにする事だけを努めた偉人だと思う。地味と言わず、もっと評価されるべき人と思う
なんか夏侯惇みたいな人だね。こういういぶし銀タイプを評価する貴方のような人が増えたら世の中もっと良くなるのに。
@@聡福地 ありがとうございます。横山光輝の曹参大好きなんで
@@ゆあさん-t9v 様私もです。逆に韓信は、部下の献策を「それが出来れば苦労は無い」とか余計な一言を添えて却下したりする、やな上司ポジだったので、余り好きにはなれませんでした。
七十箇所の傷を負い…と致命傷はしっかり避け、戦果はきっちり挙げる。自らの不才を知り、才に従う。小事は大事にせず、民と臣の心を安んじる。従うべきに従い、あえて何もしないというのはなかなかできないこと。曽参もまた英傑ですね。
曹参のような文武両面に優れた人物が地味と評されるところに、劉邦陣営がいかに人材に恵まれていたのかを感じますね
最近は楚漢戦争の時代やその前後の話が多いですね楚漢戦争はこのチャンネルでは最近になるまであまり語られてなかったので一気に来て嬉しい
鳥人間さんって、話の緩急が上手いですね。特に所々の「駄洒落」がいいアクセントしてます(笑)
道家の政道を参考にして政治を収めたというところが、春秋戦国時代の諸子百家の残り香がして良いですね。最後まで蕭何も曹参を信頼して自分の後任に指名したあたり人物としても大成していたことが伺えます。
実はこの曽参も採用した『黄老思想』は前漢では主流の統治思想となり(後半は儒教に押されぎみで後漢に入ると完全に儒教が国教になりますが)文帝景帝のいわゆる『文景の治』という前漢の安定期における統治上の思想的バックボーンになったのもこの『黄老思想』でした
こういう曹参みたいな人を取り上げる所が、鳥さんの素晴らしい所!このチャンネルのファンで良かったと思う瞬間です。ありがたや~
このチャンネルはもっと有名になって良いですね。吉川三国志やキングダムが下らなく見えてきます。それらのファンには申し訳ないが。
実績十分の曹参でなくポッと出の天才韓信を抜擢できる劉邦、人を見る目は確かなんだよな
曹参さん、絶対性格良さそうというか、組織に絶対欲しい人材組織を上手く纏める最高の潤滑油でありながら、武将としても最高の働きしてるとかあたまおかしいなんかみんな曹参さん大好きだろうな、って感ある。理想の上司で理想の部下鞭打ちされた息子は不憫だったけど
この動画2周目見てるけどいぶし銀的な人物(と言っても戦功第二で重用されてたけど)だなぁこういう人物が長生きできると嬉しくなる鳥人間さんの動画は一周目を真面目に見て二週目以降は作業用BGMとしてたれ流しでも楽しいから何周でも見ちゃう
曹参は、太陽が有る時に目立たない月の様だね。実力も有り信頼できる忠臣ですね。漢が長く続いたのも頷ける。
項羽と劉邦のドラマで自分が大将軍になれると思いつつも、急に夏侯嬰持ち上げ出す曹参すこ。ウキウキが伝わってくる
蕭何と曹参が後年疎遠だったとされるのも劉邦や呂雉の嫉妬深い眼に気が付いて家臣1位2位の仲がいいとどんな濡れ衣着せられて更迭させられるか分かったもんじゃないと思ったからじゃないかな?
知りたかった曹参きた!いつも楽しみにしてます。
守成の達人といったところですねえ……蕭何と疎遠になったもの、劉邦の猜疑心を警戒してのことに見えてきます
動画お疲れ様です!動画の面白さもさることながら、コメントの質の高さよ。知的好奇心満たされっぱなしです
宮城谷昌光氏の小説の中の話ですが、幼い劉肥に「悲しいから何もしないのか。何もしないから悲しいのか。」と聞いたり、田横の墓を訪ねた時に田横の未亡人と話をしたあとに田横の墓の前に座って「女には話せない事もあるだろう。語ってくれ。」と言ったり、どこか影を抱えた人物のイメージがある。
そういえば劉邦が最期に名前を挙げた宰相級の人材、蕭何、曽参、王陵、陳平、周勃という5人のうち4人までが劉邦の地元(沛県)出身者だったんですね中国全土を統べる皇帝という地位についてもやはり劉邦にとって最終的に頼れるのは『地元仲間』だったということなんですかね(頭いいだけのやつならいくらでもいたでしょうし) この辺外国人宰相バンバン使ってた秦とは明らかな毛色の違い感じますね
休日です。中国史をつまみにビールです。缶ですが、とりあえず生です。最高です!
曹参を相国に指名した事も凄いが、劉邦が死の間際に「漢王朝を長らく安んずるものは必ずしや周勃であろう」と皇后の呂雉に言い残し、その言葉通りになった劉邦の人を見抜く目と適材適所に人を用いる能力はやはり任侠の世界で身に付けたのだろうか
その辺の地方の役人でしかなかったのにそこで出会った人物が人物なだけに大変なことになっちゃった人。
何が凄いってオープニングガチャで蕭何と曹参、夏侯嬰、樊噲を引く劉邦のガチャ運
まだまだ居ますよ。
孝子王陵わすれるな
ショウカが金溶かしまくって劉邦引いて仕方なくがんばった説。
真の最高レアはガチャ引いた劉邦本人と蕭何いうオチ総合力なら項羽敗北前の章邯くらいにしか負けないと思う。項羽じゃトータル劉邦超えは無理だし
面白かったです。概要知っていても、これほどすごい人物であるという認識がなかなか出来ない地味キャラでしたので。
曹参は文武両方をやれた人物ですね。文の方では文官として超優秀な蕭何ほどでなくとも、武の方では国士無双の韓信ほどでなくとも、かなり優秀な人物だと思います。劉邦が漢王となったあたりから蕭何と曹参の関係がだんだん疎遠になっていったのは、単純にお互いに仕事が忙しくて、なおかつ仕事内容も全然違うから会ったりする機会がすごく少なくなっていったのが大きな要因だと思います。(現代みたいにLINEみたいなのあるわけないし、手紙だって当時は竹簡だからプライベートな事でそうホイホイと使うわけにはいかないだろうし。)別にお互いに相手に対してマイナスな気持ちはそんなになかったと思います。
1:46「秦王朝滅亡」が、居酒屋のお通しみたいになってますね🤣13:39章平≒翔平
今回も動画を閲覧した者です。 楚漢戦争で劉邦側に、武官も文官もこなせる人物がいたことは、知りませんでした。 劉邦の部下は皆優秀ですが、この曹参は仕事をモクモクとこなすところは、さすがですね。 ましては、子孫は曹操。曹操が武官や文官もこなせたところは、曹参の影響なのかなと思いました。 今回の動画を視聴したところ、投稿者さんの体調は良くなったようですね。 今はコロナが厳しいので、体調とメンタルに気をつけていただければと、思います。 話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
「『立場が人を創った』中でも最高の人物」だと評価してます。歴史で評価されるのは3種類いて、「天才」と「秀才」と「変態」。秀才の最上級ですよ!
面白い観点ですね<歴史で評価される3種類
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます……!活力をいただいております……!!
『老子』に「善く行く者は轍迹なし」と記された通りに、自らをひけらかすこと無く生涯を全うした超優秀な人。何でもこなせる力量がうらやまし過ぎる。
漢の文帝にも言えますが、本当に凄い人って、意外に目立たないというケースが少なからずみられますな。
漫画「ブラックジャック」で私が好きな回の一つ「六等星」、それに登場する椎茸先生を思い出しました。椎茸先生、あのブラックジャックにも一目置かれた位凄い医者なのに、出世もせずにいる、と。
「とりあえず生人間」wwwwww「獄吏大好き」wwwwww今回も一段とギャグが冴えてますなwww
酷吏≠獄吏
訂正しましたm(_ _)m
31:18 董卓「ほ〜ん、ええやん」
中華だろうが日本の戦国時代だろうが、こういった曹参みたいな人材が一番すきだわ、永遠のナンバー2的なポジション
ホルホースビリーカーン
@@ミスター仙臺シロウ 蓮舫
@@GUMi-mq8bz そいつはナンバー2を他人に強要する奴だろうが
曹参を取り上げるとは流石です
漢の名補佐役、面白く拝見しました。毎回ありがとうございます。昔から司馬遼太郎・宮城谷昌光・陳舜臣の著作を通じて中国・韓国・日本の古代史に興味が有り、最近はこの動画で、うんうん納得納得と頷きながら楽しみに拝見した居ます。夏姫絡みで楚の巫臣に興味が有ります、その人物の祖先から屈氏から巫臣の生涯を教えてください。
蕭何劉邦曹参の地方公務員の引継ぎみたいな後任は彼でお願いします…えっあいつでいいの?ええ⋯本当に良いんです?みたいなやり取り劉邦幕下らしくてほんと好き
曹参は実績抜群の名将なのに、何故か扱いが小さい不遇の名将ですね。曹参が目立たない程に、劉邦配下に英傑が多過ぎるのですが。
地味だからこそ,劉邦から「こいつは野望も無く,黙って言う事を聞いてくれる職人肌のタイプだ」と信頼されたんでしょう。もし序列2位になった時,不満を言っていたら粛清の対象になっていたでしょうね。
劉邦は最初から蕭何と曹参が配下って凄い運の良さだな
いつも楽しみにしております。些少ですが、お納めください。
ご支援、まことに感謝いたします……!ご厚意が何よりの励みになっております……!
なかなか最古参がゴールまで粛正から逃れ天寿を全うする(しかも晩年の劉邦、呂雉からだよ!)のは全体的にも珍しいのでは?それだけでも有能オブ有能だと思う。ただ周りの蕭何や張良、敵ながら項羽といった別格が多過ぎた。
陸賈が南越王(趙ダ)を漢王朝に服属させてからのエピソードで、以下の問答があったのを思い出しました。南越王「わしと蕭何・曹参・韓信とでは、どちらが賢明か?」陸賈「貴方(南越王)でしょう」漢の三傑の張良が何故南越王の口から出なかったのが、昔からずっと腑に落ちませんでした。理由がわかる方、どうか御教示下さい。
私は、南越王のこういう子供っぽいところが微笑ましくて好きです。
南越王としては自分ひとりで蕭何、曹参、韓進三人分の働きをして王になったという自負が合ったから陸賈に問うたのだと思う。そして内心は一人三役の自分は皇帝の劉邦より上だろうと言いたかったんだろう。それに対して陸賈が「皇帝はあなたの言う三人を自在に扱って中華を統一したんですよ。あなた一人が三人分の能力をフルに使ってせいぜい南越国程度しか統一できない。皇帝に及ばないのは明白ですね」って言われて恐れ入るエピソードにつながるんですよ。
過失なく、確実に任務を遂行していくサクセスストーリー。清涼感抜群の人生。素敵。でも、曹窋は気の毒。
漢の北方略定軍とかいう中華屈指のオールスター軍団
曹参が地味だったのではない。張良、蕭何、韓信があまりにも傑物だったのだ。いかに素晴らしい政策や策略、采配も実行に移す者達がいなければ意味はない。曹参のような者達も貴重な人材である。それを分かっていたからこそ、蕭何が自身の後継者に彼を選んだのだろうし、見事に国家の安定をもたらした。やはり傑物は傑物を知るのだろう。
漢の三傑のレベルが高すぎるだけで、曹参も優秀なんですよね。
なんで楚漢戦争の登場人物って独特の魅力があるんだろう・・・
Thanks!
いつもご支援いただき、まこと感謝でございますッ!!ご厚意まことに痛み入ります……!
最高のNo2。そもそも誰とでも良好な関係築いているよね
そういうところを見るのが大事なのかもしれませんね。
「Vやねん漢軍!」のフラグ建てが秀逸!
曹参キター!もっと言うと曹参夏侯嬰周勃の3大影薄いけど有能人物すこ3人共劉邦呂雉の粛清を逃れてますしもっと評価されて然るべき
やべえやつらの上にいたか下にいたかの違いがあるだけで劉邦の代わりに沛公やっててもそこそこいけてそう印象を持ちました
確かに役所での役職は蕭何のがかなり上だったと思うけど、劉邦挙兵までにいたる2人のなしようからすると、キャリア組の優秀な蕭何と、現場ノンキャリの曹参が同期っぽい仲良しという図が馴染み、あんまり曹参部下感はしないですよね。宮城谷劉邦もそんな感じで、どっちかというと県の中枢に居て民の恨み買いそうな蕭何が、けっこう汚れで顔の効く曹参を巻き込んでつるんで劉邦を迎えに行ったというふうになってました。んで、この長男劉肥を産んだ曹氏と裏切り者の左司馬曹無傷の関係を、夏侯嬰との私闘がバレてしょっ引かれそうになった件から鴻門の会にいたる因縁としてうまいことミステリー仕立てにしてましたね。にしても義弟樊噲もだいぶ功績あるはずなんだけどなー
いつもお疲れ様です大手の某ゆっくり歴史解説者が昨日ある動画を上げていました。収益化剥奪に伴う活動無期限休止についてです。どうやらゆっくりボイスのみならず全ての機械音声はダメとのことで、、私はゆっくり解説が大好きなので本当に悲しいです。
あの人は動画配信頻度が高すぎて業者と思われているんだと思う
いずれはかんえい しゅうぼつ かこうえいも取り上げるのですね!項羽方だとしょうこうかくもお願いします
簫何とは疎遠になったというよりは、何も言わずとも信頼し得る関係になったのかな。
曹参は地味ではなく堅実。
やっぱり、秦の政治って厳しすぎてもたなかったんだな🤔
曹参の息子(曹クツ)、帝の命に従っただけなのに、とんだとばっちりでしたな。鞭打ち200回ですもの。(真相を知った曹参は息子に詫びたのでしょうか?)
想像すると「お前は俺の何を見ていたんだ(怒)この程度のことを俺の口から帝に言わせるな」って感じで更に鞭打ち一〇〇回追加されてそうです。
横山光輝の項羽と劉邦では最終決戦に参戦していますね。
3年という任期が絶妙だったな?難しい斉を9年間治めた経験と時勢をよむ目があった。しかし心中は一日たりとも休む日は無かっただろう?
いやぁ、観ごたえありましたなぁ蕭何と彼の治世で、秦末楚漢戦争の傷を癒やすことができた。
オープニングの鳥〇〇人間が好きすぎる次はなんだろう?期待してすみません💦
自分は鳥あえず生から入って焼酎に移行しますね…。今は自宅で缶ビール片手に中国史動画見てます。生飲みてぇ~
究極のバランサー曹参と王陵好き
劉邦に疑われないのは無事に老後を送るために一番必要な能力だと思う
蕭何ですら疑われたのに信頼されたのは最初の妻の親戚だったからかも。長子だけど庶子の斉王の補佐を任せられるあたり、こいつだけは裏切らないというか裏切れないしがらみがあるので劉邦も「仮に息子の恵帝と斉王が争って斉王が勝って帝位についても俺の血は曹参がいるので残る」って感じだっったから粛清対象から外されたのかもしれませんね
急逝した元日本代表監督オシムさんが「いかなる天才が揃ったチームでも水を運ぶ人がいないと崩壊する」と言った言葉を思い起こさせる曹参の紹介ありがとうございました。恵帝と曹参のエピソードを聞くと恵帝って人は優れた人物だと思うのですが、母親の呂雉が人豚なんてことしたから酒浸りになって死んだのでしょうね。曹参がもっと長生きしていたら人豚事件が起こっても呂雉に恵帝には話さないほうが良いと忠告したと思うし呂雉も曹参の言葉なら「息子に見せるのはまずい」と思い返したかもしれませんね。
改悪ばかりするいくつもの運営に曹参の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい奴ら変更する必要のない良い所まで変更して悪くするからなやっぱり歴史を学ぶのって大事だ
わかる…ユーザーのことなんて丸で考えずに、ただ「仕様を変えた」って実績がほしいだけとしか思えないような改悪ってあるよね
そうですね。つまらない者は、余計な事ばかり喜んでやり、肝心な事は何もしない。話が通じないから、今日そう言う奴が何もしないでいた事を幸福だと思うしかない。理不尽なことだし、計算に入れること自体が不健全でも、古来ある事で常々悩まされる。
曹参も酒好き宴会好きだったから、劉邦と気があったのですね。後、曹操は夏侯氏出身だけど曹氏とは、親戚関係だったのでは?
その夏侯氏がかの夏侯嬰の子孫ってあたりがなんか因縁を勝っじますね。劉備は劉氏の末も末で沛出身ではないので、ある意味漢王朝創生の沛県出身の曹参と夏侯嬰の血を引くものが漢王朝を引き継ぐ曹操って感じがしますね。
劉邦陣営の中でも仕事量だけならナンバーワンかも。有名どころだと文武両道枠はこの人ぐらいですよね
曹参の次の相国はもしかしたら曹操なのでは…と思って調べてみたら董卓だった。しかも曹操は丞相と王に手を付けてるけど相国にはなっていなかった。王朝簒奪する気は満々だったのだろうけれど、あえて避けたのかなと勘ぐってしまう。
曹操が実質的に就きたかったのはやはり『相国』であったと思います(すでに三公の一つ『司空』に就任して長く、天下統一に向けもう一ランク職位を進めたかったのはあると思う)これに手をつけなかったのはやはり当時は董卓が『相国』に就任したという記憶がリアルに残っておりイメージと名分との両者とも(実際に董卓が歴史に書かれているような極悪人であったかは別にして、少なくとも曹操は『董卓誅滅』を大義名分に群雄化した勢力なので)不都合であったからかと思われます ただ曹操の就任した『丞相(208年)』も前漢のころ採用されていた伝統的官位としての『丞相』とは名前こそおなじ丞相ですが実質全くの別物で本来漢王朝の伝統的『丞相』が三公の一官職(後漢でいう『司徒』にあたる)に過ぎなかったものを曹操は自身が丞相に就任するに際して三公職を廃止しておりこのため曹操が付いた丞相は実質的に漢王朝行政組織における独裁官として機能するようになりましたその意味で曹操が軍権も握っていたことをふまえれば相国をも超える権限を有していたともみなせるかもしれません ちなみに余談ですが曹操が魏王に就任し漢王朝の内部国家として魏王国が成立すると魏王国の行政組織の三公の一つに『相国』の名を使っており(漢王朝でいう『司徒』にあたる。鍾繇等が就任)その官職名の相対化が図られています(魏が帝国に昇格すると再び『司徒』に戻されるが)
張良 知謀S級韓信 統率S級蕭何 政治S級樊カイ 武力S級曹参 ALL A級 みたいな感じかな?
1番しっくりきました。上記の方々程、傑出はしていないけど高水準で託せる存在。燻銀という言葉が合いそう。
韓信 政治○級………(皆さんは○級だと思います?私は、斉を制圧してからの事跡を踏まえると、どうしても低めのランクにせざるを得ない、と思いますが)
@@xqxyz9271 様ありがとうございます(^-^ゞまさに燻銀って感じですよね😇
各部門のトップには及ばないが何でもそつなくこなし、しかも、各トップが居なくなった後の穴埋めに十分応えられる万能感がすごいね。
@@coldexp7189 様曹参こそ勲功筆頭を押す家臣が多かったとか😅劉邦の鶴の一声で蕭何に成りましたが😇
曹氏はこれだけ漢王朝に貢献したのに、その子孫は簒奪して漢を滅ぼすという...
蕭何もそうであるように、何でこんな逸材が田舎の小役人だったのが信じ難いですね。
「ハーバード大卒の人は平時に役立っても戦時は役に立たない」と現在言われる話と被りますね。平時は公平さを期する順法が求められても、戦時(変時)は法を曲げても被害を抑える緩急が求められるから…知らんけど(汗
才能はどこにでも誰の前にも転がっているが、それを生かすことができずに埋もれていくもの
蕭何は中央からスカウトされた話あったんじゃ?頭がキレまくりだから秦が長くないのを見抜いてあえて時流を見てたのかも?そして再び乱れた時の神輿の劉邦を庇護してたりして。
逸材はどこにでもいるし、中央のエリートが逸材だから出世しているわけでもない。社会とはそういうもの。
ドラえもんで言えば、出来杉くんだと思うんだが。TVは出てくるけど、映画には出演しない感じ。三功臣は何かの技術にズバ抜けてる天才だったけど、曹参は大体のことに結果を残せる秀才だったと思う。曹参だからこそ韓信の副将を務めることができたんだろう。何が大事で何が必要かをよく理解してたんだと思う。
なんか、凄くしっくり来ました。確かにオールマイティに秀でていますものね。両名とも。(因みに、昔ドラえもんの映画を見るたびに思った事。「出来杉くんに四次元ポケット持たせりゃええやん」でも、それやったらそもそもピンチにならず、あっさり解決して終わりになるから映画的には面白く無いか)
18:50攻略の語源って攻城略地って言葉なんやな。
仕方ないことながら秦滅亡から漢成立に至る同じくだりを視聴するのはこれで何回目だろう……。
蕭何曹参樊獪夏侯嬰周勃盧綰劉邦「こんな小役人や肉屋と幼馴染だけで旗揚げなんて成功するわけない、俺はなんて運の無い男なんだ💦」
章邯の弟章平のところでしっかり翔平を入れてくるwまあ、曹参も武将と政治家の二刀流と言う意味では共通点があるか。
蕭何と曹参、疎遠になっていったのは本人同士の軋轢より、二人の周囲を囲む人々の関係と任務の違いで自然と疎遠になってしまったのではないかなと思います。普通のことを普通にこなす、与えられた課題をきちんとこなす、それをひけらかすこともなかったので、大粛清を逃れたのかもしれませんね。政治家としての処世術は霍光と似てるなと思いましたね。霍光ほど苛烈な闘争はしてませんが。
蕭何と曹参は、曹参が蕭何に「こいつには敵わないわ(尊崇)」っていう意識がありつつ、同じ派閥とみられるのは悔しいっていうのがあったのではないかと思います。そこの見極めができてことが曹参の特徴であり、前漢が西晋なんかと違ってきちんと続いた遠因だと思いまっす。
たぶん、劉邦ってそんな地味ながら道理をわきまえた曹参を好きだったんじゃないかと思う。逆に言えば、韓信なんかの絶対的な抜群の功臣は信じきれなかったという感じじゃないかな?
曹参の子孫の曹事は衛青の妻かつ武帝の姉である平陽公主の最初の旦那
曹時または曹寿とも言う平陽公の妻になったので平陽公主と呼ばれるようになりました。
劉邦に疑われないどころか粛清されないだけでも驚きなのに、武将しても宰相としても優れた能力を発揮した曹参は地味に凄い人物なんですね。憶測ですが蕭何との関係が疎遠になったのは大臣と将軍という畑違いの立場の関係と論功行賞の差が二人を今までの劉邦の旗揚げ時代からの友人関係でいられなくなってしまったのではないのでしょうか?例として挙げるなら踊る大捜査線の青島と室井さんのようになってしまった。…古い刑事ドラマの例えですが、長文失礼しました。
劉邦の地元どれだけ人材に恵まれてるんだと思う。
しょうかそうしんろわんはんかいしゅうぼつかんえいとかですね。
王陵も
呂産・董卓「俺らも相国だぞ!!」
超忙しいん人(三傑)のための曹参、実はまた文武兼備の名将、苦労人属性満点ですが。
横山光輝先生の『項羽と劉邦』では、濰水の戦いで曹参が龍且を討ち取ったとなっていますが、どうしてでしょうね?灌嬰じゃ地味なのかな?
ま、まぁ、司馬遼太郎版「項羽と劉邦」での龍且(作中では「竜且」と記載)は名も無き雑兵に止めを刺されてたし…………
中国の歴史を見ていると、やはり人材はとても大事なんだなとつくづく実感する。人材を使い捨てる企業の経営陣にも見習ってほしいね。
32:34夏侯嬰は、劉邦が逃げる時に御者やってた人なんやな。
古代中国において初めて子供へのネグレクトに抗議した人物でもあります。「逃げるのに足手まといだ!そや投げ落としたろ。ポイっ」「なんちゅうことするんですか。我が子を投げるなんて。坊、嬢怪我ないか」「バカタレ!早う馬走らせんかい。こらオドレら邪魔や!あっち行け、行かんかい。ええいぶん投げたる」「あんたそれでも人の親ですか!大丈夫か、ほらここに乗りや」っ感じで劉邦の息子と娘を保護した「元祖まともに働いた児童相談所職員」ですね。
適切な例えかどうかわかりませんが、「スラムダンク」で言えば、陵南の池上とか翔陽の長谷川みたいなポジションですかね。曹参って。池上・長谷川両名ともシード校のスタメンですからね。(すみません、戯れの想像が過ぎました)
オフェンスが卓越している反面、ディフェンスがザルの上に豆腐メンタルというおまけ付きである陵南の福田よりは、監督としては使いやすいですもの。池上って。曹参もそんな感じかな?
@@ムッシュビーン 様王者「山王工業」のスタメンですよね、松本って。沢北の影に隠れてるけど。
ツァオツァオ!ツァオツァオ!!
曹参の動画、ありがとうございます!派手さはないけど、それだけに平和な時代に必要とされる人材だった気がします。対照的なのが武帝・劉徹。武帝のような人物が丞相、皇帝なら漢は短命に終わっていたかも知れません。漢が統一帝国として長く中国を統べていくことに定まったのは曹参の丞相就任によってだった、と言っても差し支えないと思います。
ご支援ありがとうございます!蕭何や曹参、そして彼らに続く漢の宰相リレーはまさに傑作でしたね~!
優秀な人材が亡くなっても次も優秀な人材が上に就く劉邦陣営の層の厚さは項羽陣営と雲泥の差ですね
曹参は名声は韓信や蕭何など、劉邦家臣団の中では影の薄い存在である。これは認めざるを得ない。しかし、紆余曲折あって武官にあっては韓信の下とされ、蕭何と比べられて功臣二位という位置付けとなるも、曹参は不満を持った形跡はない。それは曹参自身、納得していたからであろう。私は、曹参を評するならば素晴らしい裏方であったと考える。漢には主君劉邦含め、名だたるスーパースターが多数存在していたから、そっちに目が向いてしまっているだけで、彼自身は軍事と政治共に行けるマルチタイプ。このマルチタイプというのは、どちらにも突出していない分、能力は低いと思われがちだ。ただ、それは楚漢戦争や王朝創設期の混乱を主眼に据えた場合であり、王朝が安定してくるとマルチタイプほど能力を発揮する人物はいないと考える。実際、反乱を鎮圧しており、文官として任地をよく治めている。このことから、曹参は自身の能力を的確に分析し、客観的に物事を見ることのできた人物。そして裏方に徹する、相国となっても国を現状維持できるほどの意志の強い人物であったのではないかと感じた。蕭何とは徐々に疎遠となっていき、最後には交流もなくなっていたが蕭何は曹参を後任の相国と指名したこと、劉邦が呂后に蕭何の次は曹参と遺言していたことから、両名共に曹参のことを信頼し、かつ頼りにしていたことが分かる。蕭何と曹参。疎遠にはなっていたが、ずっと上司と部下としての繋がりがあったのは確か。ゆえに蕭何は曹参のことをよく知っていた。劉邦も蕭何から曹参の人となりを聞いていたと思われる。これは想像だが、蕭何からは今後の国のあり方について曹参は絶対必要であると強く薦められたのではないだろうか。ゆえに彼ら亡き後の王朝の存続を任せられると判断したのではないか。結果として、曹参は劉邦と蕭何の残したものを堅持し、秦崩壊以後の民の疲弊を回復させ、漢帝国の安定に貢献したのである。
獄吏という忌み嫌われそうな役職で慕われたのは、後年の寛容さを当時から発揮していたのかな?
曹参や上司の蕭何って、太平の世でも役人として生涯を全う出来てた感があります。(逆に陳平や韓信って、太平の世に生涯を送ってたら、ニートで終わってたのかな?)
俺陳平みたいにキレすぎる人苦手。あの手の人は信頼されないよ。韓信はニートで終わっていたと思われる。
韓進はニートまっしぐらだけど、陳平は歌舞伎町No1ホストって持て囃されてたでしょうね。
いやいや#三傑の爪の垢 など百万年たっても私にはムリですが#曹参の爪の垢 なら仏壇にでも飾っておきましょう。:+((*´艸`))+:。やはり先祖代々由緒正しき#水呑み百姓 の私どもにとっては🤔何たって#爪の垢 と言えば田畑を耕す#鍬耕の爪の垢こそ相応しいモノです\(^o^)/
能力値でいうとオール89のイメージ
いや、部下に父に劣るとされてあっさり認める恵帝相当な力量よ。曹参が言いにくいことを面と向かって恵帝に言えたのも、力量を認め信頼していてこそ。余計なことをしないのも大切。やはり中国史は教訓の宝庫。
守成の時代に大事な「聴く」ことができる人ですね。しかも2代目は増上慢になりがちだから、ほんとに凄いと思います
武田勝頼より上、少なくとも上杉景勝クラスということか!
いやいや武田の勝っちゃんは親父の負の遺産に殺された疑惑があるし。結果だけ見ればそうかもだけどさ。
ホウ城の戦いは兵数は盛られてると思う……せいぜい寄せ集め10万いるかどうかの劉邦に対して本拠地襲われて激オコの楚人2万率いる項羽じゃ話にならない。
部下ではあるけど旗揚げ時から一緒にいて馬鹿やってた愉快な仲間たちの一人だから普通の部下としては思ってなかったと思う
動画お疲れ様です。
劉邦から粛清の対象として見られず疑われなかっただけでも十二分に凄い政治バランス能力の持ち主。
決して目立つタイプではないけど超が付く有能ですね
明の開祖を見るまでもなく疑われないのは中華では大切な能力。
私は、楚漢戦争で一番好きで尊敬してる人物です。武智の勇としてこんなに偉大な人は、いないと思う。劉邦の粛清にも見舞われず、宰相になってもけして驕らず、呂氏の専横にもかかわらず、民が、安らかに過ごせるようにする事だけを努めた偉人だと思う。地味と言わず、もっと評価されるべき人と思う
なんか夏侯惇みたいな人だね。こういういぶし銀タイプを評価する貴方のような人が増えたら世の中もっと良くなるのに。
@@聡福地 ありがとうございます。横山光輝の曹参大好きなんで
@@ゆあさん-t9v 様
私もです。逆に韓信は、部下の献策を「それが出来れば苦労は無い」とか余計な一言を添えて却下したりする、やな上司ポジだったので、余り好きにはなれませんでした。
七十箇所の傷を負い…と致命傷はしっかり避け、戦果はきっちり挙げる。
自らの不才を知り、才に従う。小事は大事にせず、民と臣の心を安んじる。
従うべきに従い、あえて何もしないというのはなかなかできないこと。
曽参もまた英傑ですね。
曹参のような文武両面に優れた人物が地味と評されるところに、劉邦陣営がいかに人材に恵まれていたのかを感じますね
最近は楚漢戦争の時代やその前後の話が多いですね
楚漢戦争はこのチャンネルでは最近になるまであまり語られてなかったので一気に来て嬉しい
鳥人間さんって、話の緩急が上手いですね。特に所々の「駄洒落」がいいアクセントしてます(笑)
道家の政道を参考にして政治を収めたというところが、春秋戦国時代の諸子百家の残り香がして良いですね。最後まで蕭何も曹参を信頼して自分の後任に指名したあたり人物としても大成していたことが伺えます。
実はこの曽参も採用した『黄老思想』は前漢では主流の統治思想となり(後半は儒教に押されぎみで後漢に入ると完全に儒教が国教になりますが)
文帝景帝のいわゆる『文景の治』という前漢の安定期における統治上の思想的バックボーンになったのもこの『黄老思想』でした
こういう曹参みたいな人を取り上げる所が、鳥さんの素晴らしい所!
このチャンネルのファンで良かったと思う瞬間です。
ありがたや~
このチャンネルはもっと有名になって良いですね。
吉川三国志やキングダムが下らなく見えてきます。それらのファンには申し訳ないが。
実績十分の曹参でなくポッと出の天才韓信を抜擢できる劉邦、人を見る目は確かなんだよな
曹参さん、絶対性格良さそうというか、組織に絶対欲しい人材
組織を上手く纏める最高の潤滑油でありながら、武将としても最高の働きしてるとかあたまおかしい
なんかみんな曹参さん大好きだろうな、って感ある。理想の上司で理想の部下
鞭打ちされた息子は不憫だったけど
この動画2周目見てるけどいぶし銀的な人物(と言っても戦功第二で重用されてたけど)だなぁ
こういう人物が長生きできると嬉しくなる
鳥人間さんの動画は一周目を真面目に見て二週目以降は作業用BGMとしてたれ流しでも楽しいから何周でも見ちゃう
曹参は、太陽が有る時に目立たない月の様だね。実力も有り信頼できる忠臣ですね。
漢が長く続いたのも頷ける。
項羽と劉邦のドラマで自分が大将軍になれると思いつつも、急に夏侯嬰持ち上げ出す曹参すこ。ウキウキが伝わってくる
蕭何と曹参が後年疎遠だったとされるのも劉邦や呂雉の嫉妬深い眼に気が付いて
家臣1位2位の仲がいいとどんな濡れ衣着せられて更迭させられるか分かったもんじゃないと思ったからじゃないかな?
知りたかった曹参きた!いつも楽しみにしてます。
守成の達人といったところですねえ……蕭何と疎遠になったもの、劉邦の猜疑心を警戒してのことに見えてきます
動画お疲れ様です!
動画の面白さもさることながら、コメントの質の高さよ。
知的好奇心満たされっぱなしです
宮城谷昌光氏の小説の中の話ですが、幼い劉肥に「悲しいから何もしないのか。何もしないから悲しいのか。」と聞いたり、田横の墓を訪ねた時に田横の未亡人と話をしたあとに田横の墓の前に座って「女には話せない事もあるだろう。語ってくれ。」と言ったり、どこか影を抱えた人物のイメージがある。
そういえば劉邦が最期に名前を挙げた宰相級の人材、蕭何、曽参、王陵、陳平、周勃という5人のうち4人までが劉邦の地元(沛県)出身者だったんですね
中国全土を統べる皇帝という地位についてもやはり劉邦にとって最終的に頼れるのは『地元仲間』だったということなんですかね(頭いいだけのやつならいくらでもいたでしょうし)
この辺外国人宰相バンバン使ってた秦とは明らかな毛色の違い感じますね
休日です。
中国史をつまみにビールです。
缶ですが、とりあえず生です。
最高です!
曹参を相国に指名した事も凄いが、劉邦が死の間際に「漢王朝を長らく安んずるものは必ずしや周勃であろう」と皇后の呂雉に言い残し、その言葉通りになった劉邦の人を見抜く目と適材適所に人を用いる能力はやはり任侠の世界で身に付けたのだろうか
その辺の地方の役人でしかなかったのにそこで出会った人物が人物なだけに大変なことになっちゃった人。
何が凄いって
オープニングガチャで蕭何と曹参、夏侯嬰、樊噲を引く劉邦のガチャ運
まだまだ居ますよ。
孝子王陵わすれるな
ショウカが金溶かしまくって劉邦引いて仕方なくがんばった説。
真の最高レアはガチャ引いた劉邦本人と蕭何いうオチ
総合力なら項羽敗北前の章邯くらいにしか負けないと思う。項羽じゃトータル劉邦超えは無理だし
面白かったです。
概要知っていても、これほどすごい人物であるという認識がなかなか出来ない地味キャラでしたので。
曹参は文武両方をやれた人物ですね。文の方では文官として超優秀な蕭何ほどでなくとも、武の方では国士無双の韓信ほどでなくとも、かなり優秀な人物だと思います。
劉邦が漢王となったあたりから蕭何と曹参の関係がだんだん疎遠になっていったのは、単純にお互いに仕事が忙しくて、なおかつ仕事内容も全然違うから会ったりする機会がすごく少なくなっていったのが大きな要因だと思います。(現代みたいにLINEみたいなのあるわけないし、手紙だって当時は竹簡だからプライベートな事でそうホイホイと使うわけにはいかないだろうし。)別にお互いに相手に対してマイナスな気持ちはそんなになかったと思います。
1:46
「秦王朝滅亡」が、居酒屋のお通しみたいになってますね🤣
13:39
章平≒翔平
今回も動画を閲覧した者です。
楚漢戦争で劉邦側に、武官も文官もこなせる人物がいたことは、知りませんでした。
劉邦の部下は皆優秀ですが、この曹参は仕事をモクモクとこなすところは、さすがですね。
ましては、子孫は曹操。曹操が武官や文官もこなせたところは、曹参の影響なのかなと思いました。
今回の動画を視聴したところ、投稿者さんの体調は良くなったようですね。
今はコロナが厳しいので、体調とメンタルに気をつけていただければと、思います。
話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
「『立場が人を創った』中でも最高の人物」だと評価してます。
歴史で評価されるのは3種類いて、「天才」と「秀才」と「変態」。
秀才の最上級ですよ!
面白い観点ですね<歴史で評価される3種類
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます……!
活力をいただいております……!!
『老子』に「善く行く者は轍迹なし」と記された通りに、自らをひけらかすこと無く生涯を全うした超優秀な人。何でもこなせる力量がうらやまし過ぎる。
漢の文帝にも言えますが、本当に凄い人って、意外に目立たないというケースが少なからずみられますな。
漫画「ブラックジャック」で私が好きな回の一つ「六等星」、それに登場する椎茸先生を思い出しました。椎茸先生、あのブラックジャックにも一目置かれた位凄い医者なのに、出世もせずにいる、と。
「とりあえず生人間」wwwwww
「獄吏大好き」wwwwww
今回も一段とギャグが冴えてますなwww
酷吏≠獄吏
訂正しましたm(_ _)m
31:18 董卓「ほ〜ん、ええやん」
中華だろうが日本の戦国時代だろうが、こういった曹参みたいな人材が一番すきだわ、永遠のナンバー2的なポジション
ホルホース
ビリーカーン
@@ミスター仙臺シロウ
蓮舫
@@GUMi-mq8bz そいつはナンバー2を他人に強要する奴だろうが
曹参を取り上げるとは流石です
漢の名補佐役、面白く拝見しました。毎回ありがとうございます。
昔から司馬遼太郎・宮城谷昌光・陳舜臣の著作を通じて中国・韓国・日本の古代史に興味が有り、
最近はこの動画で、うんうん納得納得と頷きながら楽しみに拝見した居ます。
夏姫絡みで楚の巫臣に興味が有ります、その人物の祖先から屈氏から巫臣の生涯を教えてください。
蕭何劉邦曹参の地方公務員の引継ぎみたいな
後任は彼でお願いします…
えっあいつでいいの?
ええ⋯本当に良いんです?
みたいなやり取り劉邦幕下らしくてほんと好き
曹参は実績抜群の名将なのに、何故か扱いが小さい不遇の名将ですね。
曹参が目立たない程に、劉邦配下に英傑が多過ぎるのですが。
地味だからこそ,劉邦から「こいつは野望も無く,黙って言う事を聞いてくれる職人肌のタイプだ」と信頼されたんでしょう。
もし序列2位になった時,不満を言っていたら粛清の対象になっていたでしょうね。
劉邦は最初から蕭何と曹参が配下って凄い運の良さだな
いつも楽しみにしております。些少ですが、お納めください。
ご支援、まことに感謝いたします……!
ご厚意が何よりの励みになっております……!
なかなか最古参がゴールまで粛正から逃れ天寿を全うする(しかも晩年の劉邦、呂雉からだよ!)のは全体的にも珍しいのでは?それだけでも有能オブ有能だと思う。ただ周りの蕭何や張良、敵ながら項羽といった別格が多過ぎた。
陸賈が南越王(趙ダ)を漢王朝に服属させてからのエピソードで、以下の問答があったのを思い出しました。
南越王「わしと蕭何・曹参・韓信とでは、どちらが賢明か?」
陸賈「貴方(南越王)でしょう」
漢の三傑の張良が何故南越王の口から出なかったのが、昔からずっと腑に落ちませんでした。理由がわかる方、どうか御教示下さい。
私は、南越王のこういう子供っぽいところが微笑ましくて好きです。
南越王としては自分ひとりで蕭何、曹参、韓進三人分の働きをして王になったという自負が合ったから
陸賈に問うたのだと思う。そして内心は一人三役の自分は皇帝の劉邦より上だろうと言いたかったんだろう。
それに対して陸賈が「皇帝はあなたの言う三人を自在に扱って中華を統一したんですよ。あなた一人が三人
分の能力をフルに使ってせいぜい南越国程度しか統一できない。皇帝に及ばないのは明白ですね」って
言われて恐れ入るエピソードにつながるんですよ。
過失なく、確実に任務を遂行していくサクセスストーリー。清涼感抜群の人生。素敵。でも、曹窋は気の毒。
漢の北方略定軍とかいう中華屈指のオールスター軍団
曹参が地味だったのではない。張良、蕭何、韓信があまりにも傑物だったのだ。いかに素晴らしい政策や策略、采配も実行に移す者達がいなければ意味はない。曹参のような者達も貴重な人材である。それを分かっていたからこそ、蕭何が自身の後継者に彼を選んだのだろうし、見事に国家の安定をもたらした。やはり傑物は傑物を知るのだろう。
漢の三傑のレベルが高すぎるだけで、曹参も優秀なんですよね。
なんで楚漢戦争の登場人物って独特の魅力があるんだろう・・・
Thanks!
いつもご支援いただき、まこと感謝でございますッ!!
ご厚意まことに痛み入ります……!
最高のNo2。
そもそも誰とでも良好な関係築いているよね
そういうところを見るのが大事なのかもしれませんね。
「Vやねん漢軍!」のフラグ建てが秀逸!
曹参キター!
もっと言うと曹参夏侯嬰周勃の3大影薄いけど有能人物すこ
3人共劉邦呂雉の粛清を逃れてますしもっと評価されて然るべき
やべえやつらの上にいたか下にいたかの違いがあるだけで
劉邦の代わりに沛公やっててもそこそこいけてそう印象を持ちました
確かに役所での役職は蕭何のがかなり上だったと思うけど、劉邦挙兵までにいたる2人のなしようからすると、キャリア組の優秀な蕭何と、現場ノンキャリの曹参が同期っぽい仲良しという図が馴染み、あんまり曹参部下感はしないですよね。宮城谷劉邦もそんな感じで、どっちかというと県の中枢に居て民の恨み買いそうな蕭何が、けっこう汚れで顔の効く曹参を巻き込んでつるんで劉邦を迎えに行ったというふうになってました。
んで、この長男劉肥を産んだ曹氏と裏切り者の左司馬曹無傷の関係を、夏侯嬰との私闘がバレてしょっ引かれそうになった件から鴻門の会にいたる因縁としてうまいことミステリー仕立てにしてましたね。
にしても義弟樊噲もだいぶ功績あるはずなんだけどなー
いつもお疲れ様です
大手の某ゆっくり歴史解説者が昨日ある動画を上げていました。収益化剥奪に伴う活動無期限休止についてです。どうやらゆっくりボイスのみならず全ての機械音声はダメとのことで、、私はゆっくり解説が大好きなので本当に悲しいです。
あの人は動画配信頻度が高すぎて業者と思われているんだと思う
いずれはかんえい しゅうぼつ かこうえいも取り上げるのですね!
項羽方だとしょうこうかくもお願いします
簫何とは疎遠になったというよりは、何も言わずとも信頼し得る関係になったのかな。
曹参は地味ではなく堅実。
やっぱり、秦の政治って厳しすぎてもたなかったんだな🤔
曹参の息子(曹クツ)、帝の命に従っただけなのに、とんだとばっちりでしたな。鞭打ち200回ですもの。(真相を知った曹参は息子に詫びたのでしょうか?)
想像すると「お前は俺の何を見ていたんだ(怒)この程度のことを俺の口から帝に言わせるな」って感じで
更に鞭打ち一〇〇回追加されてそうです。
横山光輝の項羽と劉邦では最終決戦に参戦していますね。
3年という任期が絶妙だったな?難しい斉を9年間治めた経験と時勢をよむ目があった。しかし心中は一日たりとも休む日は無かっただろう?
いやぁ、観ごたえありましたなぁ蕭何と彼の治世で、秦末楚漢戦争の傷を癒やすことができた。
オープニングの鳥〇〇人間が好きすぎる
次はなんだろう?期待してすみません💦
自分は鳥あえず生から入って焼酎に移行しますね…。
今は自宅で缶ビール片手に中国史動画見てます。生飲みてぇ~
究極のバランサー曹参と王陵好き
劉邦に疑われないのは無事に老後を送るために一番必要な能力だと思う
蕭何ですら疑われたのに信頼されたのは最初の妻の親戚だったからかも。
長子だけど庶子の斉王の補佐を任せられるあたり、こいつだけは裏切らないというか裏切れない
しがらみがあるので劉邦も「仮に息子の恵帝と斉王が争って斉王が勝って帝位についても俺の血
は曹参がいるので残る」って感じだっったから粛清対象から外されたのかもしれませんね
急逝した元日本代表監督オシムさんが「いかなる天才が揃ったチームでも水を運ぶ人がいないと崩壊する」と
言った言葉を思い起こさせる曹参の紹介ありがとうございました。恵帝と曹参のエピソードを聞くと恵帝って
人は優れた人物だと思うのですが、母親の呂雉が人豚なんてことしたから酒浸りになって死んだのでしょうね。
曹参がもっと長生きしていたら人豚事件が起こっても呂雉に恵帝には話さないほうが良いと忠告したと思うし
呂雉も曹参の言葉なら「息子に見せるのはまずい」と思い返したかもしれませんね。
改悪ばかりするいくつもの運営に曹参の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい
奴ら変更する必要のない良い所まで変更して悪くするからな
やっぱり歴史を学ぶのって大事だ
わかる…ユーザーのことなんて丸で考えずに、ただ「仕様を変えた」って実績がほしいだけとしか思えないような改悪ってあるよね
そうですね。
つまらない者は、余計な事ばかり喜んでやり、肝心な事は何もしない。
話が通じないから、今日そう言う奴が何もしないでいた事を幸福だと思うしかない。
理不尽なことだし、計算に入れること自体が不健全でも、古来ある事で常々悩まされる。
曹参も酒好き宴会好きだったから、劉邦と気があったのですね。
後、曹操は夏侯氏出身だけど曹氏とは、親戚関係だったのでは?
その夏侯氏がかの夏侯嬰の子孫ってあたりがなんか因縁を勝っじますね。
劉備は劉氏の末も末で沛出身ではないので、ある意味漢王朝創生の沛県
出身の曹参と夏侯嬰の血を引くものが漢王朝を引き継ぐ曹操って感じが
しますね。
劉邦陣営の中でも仕事量だけならナンバーワンかも。有名どころだと文武両道枠はこの人ぐらいですよね
曹参の次の相国はもしかしたら曹操なのでは…と思って調べてみたら董卓だった。しかも曹操は丞相と王に手を付けてるけど相国にはなっていなかった。王朝簒奪する気は満々だったのだろうけれど、あえて避けたのかなと勘ぐってしまう。
曹操が実質的に就きたかったのはやはり『相国』であったと思います(すでに三公の一つ『司空』に就任して長く、天下統一に向けもう一ランク職位を進めたかったのはあると思う)
これに手をつけなかったのはやはり当時は董卓が『相国』に就任したという記憶がリアルに残っており
イメージと名分との両者とも(実際に董卓が歴史に書かれているような極悪人であったかは別にして、少なくとも曹操は『董卓誅滅』を大義名分に群雄化した勢力なので)不都合であったからかと思われます
ただ曹操の就任した『丞相(208年)』も前漢のころ採用されていた伝統的官位としての『丞相』とは名前こそおなじ丞相ですが実質全くの別物で
本来漢王朝の伝統的『丞相』が三公の一官職(後漢でいう『司徒』にあたる)に過ぎなかったものを
曹操は自身が丞相に就任するに際して三公職を廃止しており
このため曹操が付いた丞相は実質的に漢王朝行政組織における独裁官として機能するようになりました
その意味で曹操が軍権も握っていたことをふまえれば相国をも超える権限を有していたともみなせるかもしれません
ちなみに余談ですが
曹操が魏王に就任し漢王朝の内部国家として魏王国が成立すると
魏王国の行政組織の三公の一つに『相国』の名を使っており(漢王朝でいう『司徒』にあたる。鍾繇等が就任)その官職名の相対化が図られています(魏が帝国に昇格すると再び『司徒』に戻されるが)
張良 知謀S級
韓信 統率S級
蕭何 政治S級
樊カイ 武力S級
曹参 ALL A級 みたいな感じかな?
1番しっくりきました。
上記の方々程、傑出はしていないけど高水準で託せる存在。
燻銀という言葉が合いそう。
韓信 政治○級………(皆さんは○級だと思います?私は、斉を制圧してからの事跡を踏まえると、どうしても低めのランクにせざるを得ない、と思いますが)
@@xqxyz9271 様
ありがとうございます(^-^ゞ
まさに燻銀って感じですよね😇
各部門のトップには及ばないが何でもそつなくこなし、しかも、各トップが居なくなった後の穴埋めに十分応えられる万能感がすごいね。
@@coldexp7189 様
曹参こそ勲功筆頭を押す家臣が多かったとか😅
劉邦の鶴の一声で蕭何に成りましたが😇
曹氏はこれだけ漢王朝に貢献したのに、その子孫は簒奪して漢を滅ぼすという...
蕭何もそうであるように、何でこんな逸材が田舎の小役人だったのが信じ難いですね。
「ハーバード大卒の人は平時に役立っても戦時は役に立たない」と現在言われる話と被りますね。
平時は公平さを期する順法が求められても、戦時(変時)は法を曲げても被害を抑える緩急が求められるから…知らんけど(汗
才能はどこにでも誰の前にも転がっているが、それを生かすことができずに埋もれていくもの
蕭何は中央からスカウトされた話あったんじゃ?頭がキレまくりだから秦が長くないのを見抜いてあえて時流を見てたのかも?そして再び乱れた時の神輿の劉邦を庇護してたりして。
逸材はどこにでもいるし、中央のエリートが逸材だから出世しているわけでもない。社会とはそういうもの。
ドラえもんで言えば、出来杉くんだと思うんだが。TVは出てくるけど、映画には出演しない感じ。三功臣は何かの技術にズバ抜けてる天才だったけど、曹参は大体のことに結果を残せる秀才だったと思う。曹参だからこそ韓信の副将を務めることができたんだろう。何が大事で何が必要かをよく理解してたんだと思う。
なんか、凄くしっくり来ました。確かにオールマイティに秀でていますものね。両名とも。
(因みに、昔ドラえもんの映画を見るたびに思った事。「出来杉くんに四次元ポケット持たせりゃええやん」でも、それやったらそもそもピンチにならず、あっさり解決して終わりになるから映画的には面白く無いか)
18:50
攻略の語源って攻城略地って言葉なんやな。
仕方ないことながら秦滅亡から漢成立に至る同じくだりを視聴するのはこれで何回目だろう……。
蕭何曹参樊獪夏侯嬰周勃盧綰
劉邦「こんな小役人や肉屋と幼馴染だけで旗揚げなんて成功するわけない、俺はなんて運の無い男なんだ💦」
章邯の弟章平のところでしっかり翔平を入れてくるw
まあ、曹参も武将と政治家の二刀流と言う意味では共通点があるか。
蕭何と曹参、疎遠になっていったのは本人同士の軋轢より、
二人の周囲を囲む人々の関係と任務の違いで自然と疎遠になってしまったのではないかなと思います。
普通のことを普通にこなす、与えられた課題をきちんとこなす、
それをひけらかすこともなかったので、
大粛清を逃れたのかもしれませんね。
政治家としての処世術は霍光と似てるなと思いましたね。
霍光ほど苛烈な闘争はしてませんが。
蕭何と曹参は、曹参が蕭何に「こいつには敵わないわ(尊崇)」っていう意識がありつつ、同じ派閥とみられるのは悔しいっていうのがあったのではないかと思います。
そこの見極めができてことが曹参の特徴であり、前漢が西晋なんかと違ってきちんと続いた遠因だと思いまっす。
たぶん、劉邦ってそんな地味ながら道理をわきまえた曹参を好きだったんじゃないかと思う。逆に言えば、韓信なんかの絶対的な抜群の功臣は信じきれなかったという感じじゃないかな?
曹参の子孫の曹事は衛青の妻かつ武帝の姉である平陽公主の最初の旦那
曹時または曹寿とも言う平陽公の妻になったので平陽公主と呼ばれるようになりました。
劉邦に疑われないどころか粛清されないだけでも驚きなのに、武将しても宰相としても優れた能力を発揮した曹参は地味に凄い人物なんですね。憶測ですが蕭何との関係が疎遠になったのは大臣と将軍という畑違いの立場の関係と論功行賞の差が二人を今までの劉邦の旗揚げ時代からの友人関係でいられなくなってしまったのではないのでしょうか?例として挙げるなら踊る大捜査線の青島と室井さんのようになってしまった。…古い刑事ドラマの例えですが、長文失礼しました。
劉邦の地元どれだけ人材に恵まれてるんだと思う。
しょうか
そうしん
ろわん
はんかい
しゅうぼつ
かんえい
とかですね。
王陵も
呂産・董卓「俺らも相国だぞ!!」
超忙しいん人(三傑)のための曹参、実はまた文武兼備の名将、苦労人属性満点ですが。
横山光輝先生の『項羽と劉邦』では、濰水の戦いで曹参が龍且を討ち取ったとなっていますが、どうしてでしょうね?
灌嬰じゃ地味なのかな?
ま、まぁ、司馬遼太郎版「項羽と劉邦」での龍且(作中では「竜且」と記載)は名も無き雑兵に止めを刺されてたし…………
中国の歴史を見ていると、やはり人材はとても大事なんだなとつくづく実感する。
人材を使い捨てる企業の経営陣にも見習ってほしいね。
32:34
夏侯嬰は、劉邦が逃げる時に御者やってた人なんやな。
古代中国において初めて子供へのネグレクトに抗議した人物でもあります。
「逃げるのに足手まといだ!そや投げ落としたろ。ポイっ」
「なんちゅうことするんですか。我が子を投げるなんて。坊、嬢怪我ないか」
「バカタレ!早う馬走らせんかい。こらオドレら邪魔や!あっち行け、行かんかい。ええいぶん投げたる」
「あんたそれでも人の親ですか!大丈夫か、ほらここに乗りや」
っ感じで劉邦の息子と娘を保護した「元祖まともに働いた児童相談所職員」ですね。
適切な例えかどうかわかりませんが、「スラムダンク」で言えば、陵南の池上とか翔陽の長谷川みたいなポジションですかね。曹参って。池上・長谷川両名ともシード校のスタメンですからね。(すみません、戯れの想像が過ぎました)
オフェンスが卓越している反面、ディフェンスがザルの上に豆腐メンタルというおまけ付きである陵南の福田よりは、監督としては使いやすいですもの。池上って。曹参もそんな感じかな?
@@ムッシュビーン 様
王者「山王工業」のスタメンですよね、松本って。沢北の影に隠れてるけど。
ツァオツァオ!ツァオツァオ!!
曹参の動画、ありがとうございます!
派手さはないけど、それだけに平和な時代に必要とされる人材だった気がします。
対照的なのが武帝・劉徹。武帝のような人物が丞相、皇帝なら漢は短命に終わっていたかも知れません。
漢が統一帝国として長く中国を統べていくことに定まったのは曹参の丞相就任によってだった、と言っても差し支えないと思います。
ご支援ありがとうございます!
蕭何や曹参、そして彼らに続く漢の宰相リレーはまさに傑作でしたね~!
優秀な人材が亡くなっても次も優秀な人材が上に就く
劉邦陣営の層の厚さは項羽陣営と雲泥の差ですね
曹参は名声は韓信や蕭何など、劉邦家臣団の中では影の薄い存在である。これは認めざるを得ない。
しかし、紆余曲折あって武官にあっては韓信の下とされ、蕭何と比べられて功臣二位という位置付けとなるも、曹参は不満を持った形跡はない。それは曹参自身、納得していたからであろう。
私は、曹参を評するならば素晴らしい裏方であったと考える。
漢には主君劉邦含め、名だたるスーパースターが多数存在していたから、そっちに目が向いてしまっているだけで、彼自身は軍事と政治共に行けるマルチタイプ。
このマルチタイプというのは、どちらにも突出していない分、能力は低いと思われがちだ。
ただ、それは楚漢戦争や王朝創設期の混乱を主眼に据えた場合であり、王朝が安定してくるとマルチタイプほど能力を発揮する人物はいないと考える。
実際、反乱を鎮圧しており、文官として任地をよく治めている。
このことから、曹参は自身の能力を的確に分析し、客観的に物事を見ることのできた人物。そして裏方に徹する、相国となっても国を現状維持できるほどの意志の強い人物であったのではないかと感じた。
蕭何とは徐々に疎遠となっていき、最後には交流もなくなっていたが蕭何は曹参を後任の相国と指名したこと、劉邦が呂后に蕭何の次は曹参と遺言していたことから、両名共に曹参のことを信頼し、かつ頼りにしていたことが分かる。
蕭何と曹参。疎遠にはなっていたが、ずっと上司と部下としての繋がりがあったのは確か。ゆえに蕭何は曹参のことをよく知っていた。
劉邦も蕭何から曹参の人となりを聞いていたと思われる。これは想像だが、蕭何からは今後の国のあり方について曹参は絶対必要であると強く薦められたのではないだろうか。ゆえに彼ら亡き後の王朝の存続を任せられると判断したのではないか。
結果として、曹参は劉邦と蕭何の残したものを堅持し、秦崩壊以後の民の疲弊を回復させ、漢帝国の安定に貢献したのである。
獄吏という忌み嫌われそうな役職で慕われたのは、後年の寛容さを当時から発揮していたのかな?
曹参や上司の蕭何って、太平の世でも役人として生涯を全う出来てた感があります。
(逆に陳平や韓信って、太平の世に生涯を送ってたら、ニートで終わってたのかな?)
俺陳平みたいにキレすぎる人苦手。あの手の人は信頼されないよ。韓信はニートで終わっていたと思われる。
韓進はニートまっしぐらだけど、陳平は歌舞伎町No1ホストって持て囃されてたでしょうね。
いやいや
#三傑の爪の垢 など
百万年たっても
私にはムリですが
#曹参の爪の垢 なら
仏壇にでも
飾っておきましょう
。:+((*´艸`))+:。
やはり
先祖代々
由緒正しき
#水呑み百姓 の
私どもにとっては
🤔
何たって
#爪の垢 と言えば
田畑を耕す
#鍬耕の爪の垢
こそ
相応しいモノです
\(^o^)/
能力値でいうとオール89のイメージ